小垣江の歴史
「刈谷市史年表」を主に小垣江に関する年表を作成しました。 (編集:刈谷市史編さん委員会 発行:刈谷市)
月日の分かるものについてはできるだけ詳しく記入してありますが、分からないものについては◎とし、その年の最後に記しました。
主な出典は年月の下に以下の記号で記しました。
A1:刈谷市史 A2:円通松堂禅師語録 A3:新編岡崎市史 A4:刈谷市寺院録 A5:碧南市史 A6:加藤岩蔵氏所蔵文書 A7:誓満寺文書 A8:依佐美
A9:神谷常浩氏所蔵文書 B1:碧海郡誌 B2:安城市史 B3:明治村史 B4:小垣江村文書 B5:刈谷町庄屋留帳 B6:豊田市史 B7:西尾市史 B8:刈谷市誌 B9:小垣江小学校の80年 C1:愛知県議会史 C2:戦捷記念碑 C3:愛知県庁文書 C4:刈谷町誌 C5:知立市史 C6:野田村文書 C7:高須村文書 C8:名古屋鉄道社史 C9:刈谷市の教育
D1:刈谷市議会史 D2:市民だより D3:刈谷市の公民館 D4:児童援護課資料 D5:電気興業40年史 D6:刈谷商工会議所会報 D7:中日新聞 D8:ふたば創立30周年記念誌
D9:東芝セラミックス五十年のあゆみ E1:小垣江小学校の八十年 E2:刈谷の公園 E3:土地改良課資料 E4:刈谷市の区画整理 E5:社会教育課資料 E6:依佐美中学校分校開校記念誌 E7:愛知県史 E8:池鯉鮒宿御用向諸用向覚書帳 E9:寛政重修諸家譜
F1:三浦家文書 F2:楞厳寺文書 F3:電気興業鰍フサイト F4:刈谷ホームニュース
西暦 | 元号 | 主な出典 | 事項 |
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587〜592 | A1 | 小垣江神明宮(社)が伊勢神宮両宮を勧請して創立したと伝えられる。 | |
1409 | 応永16年1月11日 | A1 | 熊野の僧良尊は、弟子良実に三河21ヵ所の壇那場を譲渡する。この時の「熊野檀那職譲状写」の中に、重原本郷内井か屋・にしさかい、八橋郷、智鯉鮒永見・小林、小垣江郷、借屋郷、小山郷、牛田三ケ郷、ひかしさかい、野田郷并繁畳(半城土)、高浜郷、高取郷、吉浜郷などの地名が初めてみえる。 |
1432 | 永享4年9月13日 | E7 | 将軍足利義教は関東・東海諸国に威力を示すため、京都を発し、この日三河にはいる。 |
1477 | 文明9年8月11・19日 | A1 | 小垣江海蔵庵の仲介で、小垣江の住民や僧ら10人が知多郡東浦の乾坤院(けんこんいん)での授戒会に参加する。 |
1498 | 明応7年8月25日 | A2 | 明応地震が発生 |
1542 | 天文11年12月26日 | A1 | 徳川家康が三河国岡崎城で生まれる。 |
1545 | 天文14年3月15日 | A1 | 水野信元の弟藤九郎守忠は、桑子妙源寺に小垣江蔵屋敷を寄進する。 |
1560 | 永禄3年5月19日 | A1 | 織田信長が今川義元を桶狭間に襲撃し、これを斬る。義元を打たれた今川軍は敗走する。 |
1560 | 5月 | A1・B8 | 今川義元軍の兵火により、刈谷市原稲荷神社、小垣江の神明宮・龍江寺は焼失する。また、西境の信歓寺、東境の永源寺も焼失する。 |
1585 | 天正13年11月29日 | A1・A3 | 午後10時頃中部日本以西に大地震が起き、天正地震といわれる。刈谷市域でも家屋の倒壊をみる。震度6の烈震といわれる。 |
1586 | 天正14年5月11日 | A3・E8 | 豊臣秀吉の妹朝日姫は、徳川家康のもとへ輿入れのため、この日、境川を越える。池鯉鮒の西方で家康方の出迎えを受ける。 |
1596 | 慶長元年◎ | A3 | 西境村・小垣江村が田中吉政の領地となる。 |
1600 | 慶長5年7月 | A1・E9 | 水野勝成が父忠重の遺領3万石を継ぎ、初代刈谷藩主となる。 |
1596〜1615 | 慶長元年〜20年◎ | A1 | 小垣江村の真言宗補陀山観音寺が住職浄念のとき曹洞宗に改宗する。 |
1615 | 元和元年7月21日 | A1 | 水野勝成が3万石を加増され大和国郡山6万石に転封する。 |
1616 | 元和2年4月3日 | A1 | 水野忠清が1万石を加増され刈谷2万石として入封する。 |
1632 | 寛永9年8月11日 | A1 | 水野忠清が吉田城へ移り、吉田の松平忠房が刈谷へ封ぜられ、碧海・額田・宝飯三郡の内で三万石を領する。 |
1646 | 正保3年◎ | A4 | 小垣江村安楽寺は大和国金剛山麓の草庵から聖観世音菩薩を迎えてまつる。 |
1649 | 慶安2年2月28日 | A1 | 松平忠房は、丹波国福知山に転封となり、代わって伊勢国長島から松平定政が入封し、二万石を領する。 |
1651 | 慶安4年9月19日 | A1 | 越後国三条から稲垣重綱が刈谷藩主として移封し、二万三千石を領する。 |
1652 | 承応元年12月28日 | A1・A4 | 真宗高田派妙源寺末の小垣江村法栄寺は尾張国建中寺末寺となり、浄土宗鎮西派に改宗し、寺号も誓満寺と改める。開山は、聞誉善栄である。 |
1657 | 明歴3年◎ | A5 | 小垣江村龍江寺の檀家稲生平七等が平七新田の開発にかかる。 |
1658 | 万治元年3月18日 | A1・A4 | 稲垣重昭が小垣江村龍江寺を稲垣氏の菩提寺とし、再建する。 |
1658 | 万治元年◎ | A1 | 犬ケ坪村は小垣江村の農民六戸が開拓を始めたことにより成立する。また、寛文五年説・貞享元年説もある。 |
1661 | 寛文元年◎ | A1 | 小垣江村専称寺は九世成誉月秋により真宗高田派から浄土宗鎮西派に改宗する。 |
1665 | 寛文5年◎ | A6 | 小垣江村山新田の開発をする。 |
1671 | 寛文11年5月2日 | A4・A7 | 小垣江村誓満寺の地蔵堂が完成し、開眼供養を行う。 |
1674 | 延宝2年4月15日 | A7 | 小垣江村誓満寺の薬師堂が完成し、開眼供養を行う。 |
1685 | 貞享2年◎ | A8 | 稲垣重昭が、小垣江村観音寺に観音寺山を寄進する。 |
1693 | 元禄6年◎ | A4 | 小垣江村観音寺は、楞厳寺十五世印宗定海により中興される。 |
1702 | 元禄15年9月7日 | A1 | 稲垣重富が上総国大多喜城に移る。代わって大多喜から阿部正春が刈谷藩主となる。 |
1703 | 元禄16年◎ | A1 | 小垣江村・野田村が幕府領となる。 |
1688〜1704 | 元禄年間◎ | A1・A4 | 小垣江村の天台宗寺院は達賢により真宗に改宗し、超円寺として創立される。 |
1707 | 宝永4年10月4日 | A1 | 宝永地震が発生し、海辺は津波が生じる。マグニチュード8.4と推定する。刈谷辺りも潰家があり、城内の櫓も崩れる。 |
1710 | 宝永7年5月23日 | A1 | 阿部正鎮が、上総佐貫に転封となる。代わって岡崎から本多忠良が入り、五万石を領する。 |
1710 | 宝永7年◎ | A1 | 小垣江村から刈谷町への道が開かれる。 |
1710 | 宝永7年◎ | A1 | 野田村・小垣江村が刈谷藩領に戻る。 |
1711 | 正徳元年2月22日 | B5 | 刈谷町は熊村・高津波村・小垣江村・下重原村を城附役に加えるよう願う。 |
1712 | 正徳2年7月12日 | A1・F1 | 本多忠良が、下総国古河に転封となり、代わって三浦明敬が日向国延岡から転封することが命ぜられる。 |
1712 | 正徳2年11月2日 | F1 | 三浦家が刈谷城を請け取る。 |
1716 | 享保元年9月 | F2 | 小山村安楽寺を犬ケ坪村観音堂へ移す願が認められる。 |
1728 | 享保13年6月20日 | A9 | 大日照りのため刈谷町市原稲荷神社竜王宮へ雨乞を願う。その後、雨が降り、御礼として刈谷町・元刈谷村・熊村・高津波村・高浜村・小垣江村・野田村・半城土村などで笠踊りを行う。 |
1732 | 享保17年◎ | A1 | 刈谷藩で大飢饉が起きる。 |
1739 | 元文4年1月〜2月 | A1 | 刈谷藩は領内飢人改めを行いう。小垣江村564人・犬ケ坪村110人 |
1743 | 寛保3年◎ | A1 | 高須村水谷喜左衛門の娘むらは、小垣江村専称寺で剃髪し、紫雲尼と改名する。高須村に一宇を建設し、紫雲寺と称する。 |
1744 | 延享元年◎ | B1 | 小垣江村法栄庵は、誓誉直宣により真宗高田派から浄土宗鎮西派に改宗し、三浦義理の許可を得て法栄寺となる。 |
1746 | 延享3年10月 | A1 | 小垣江村は熊・高津波両村と替わり、池鯉鮒宿の助郷役を勤めるようになる。 |
1746 | 延享3年◎ | B3 | 三浦家相続問題が起き、藩が二派に別れて争い、幕府の評定所から吟味を受ける。 |
1747 | 延享4年2月11日 | A1・E9 | 幕府は、刈谷藩主三浦義理を西尾へ、代わって西尾藩主土井利信を刈谷へ移封を命じる。 |
1749 | 寛延2年◎ | B2 | 小垣江・吉浜両村は池鯉鮒宿の助郷となる。 |
1778 | 安永7年12月 | B2・B3 | 池鯉鮒宿助郷の指定を受けた小垣江・吉浜両村が村の窮状を訴え、休役を願い出たため、刈谷藩役所は代わりに高棚村・榎前村・福釜村・箕輪村を指定する。 |
1779 | 安永8年5月 | A1 | 小垣江・吉浜両村が困窮を理由に、熊村・高津波村を差村に指定して欲しいと道中奉行に願い出る。 |
1779 | 安永8年7月 | B2 | 前年、小垣江・吉浜村から代助郷役の候補に挙げられた高棚村・榎前村・福釜村・箕輪村は、刈谷藩役所に取り消しを願い出たが許されず、幕府道中奉行に訴えるため、代表が江戸に出府する。 |
1781 | 天明元年3月 | B2 | 助郷の取り消しを求めていた高棚村・榎前村・福釜村・箕輪村の願が認められ、従来通り小垣江村・吉浜村が勤めることに決まる。 |
1785 | 天明5年◎ | A1 | 太田伊左衛門の妹貞照は、小垣江村に浄土宗鎮西派の庵(現貞教教会)を創立する。 |
1786 | 天明6年◎ | A1 | 小垣江村に大巳貴命・崇徳天皇を勧請し、金刀比羅社として祭る。 |
1790 | 寛政2年6月25日 | B4 | 小垣江村が虫送りを願い出る。 |
1790 | 寛政2年6月 | B4 | 旱魃に付き、小垣江村神明宮・観音へ雨乞祈願・御礼笠踊りを行う。 |
1790 | 寛政2年8月 | B4 | 旱魃に付き畑方不作になり、小垣江村・吉浜村は大豆年貢御用捨の願をする。 |
1790 | 寛政2年11月21日 | A1 | 小垣江村専称寺で寺参会がもたれる。 |
1791 | 寛政3年◎ | A4 | 刈谷町松秀寺は小垣江村専称寺の本堂を買い受け、本堂として移築する。 |
1792 | 寛政4年6月15日 | A1・B5 | 土井利制は村替を命ぜられる。刈谷藩領2万3千石のうち、刈谷城周囲の1万石を据え置き、重原村をはじめ碧海郡21か村(1万3千石分)が福島藩及び幕府領となる。代わりとして福島藩領陸奥国伊達・信夫両郡のうちで1万石、幕府領同国磐前郡のうちで3千石が刈谷領分となる。 |
1792 | 寛政4年6月 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、小垣江村神明宮・同観音寺へ雨乞祈願・御礼笠踊りを行う。 |
1792 | 寛政4年7月13日 | A1 | 大風雨により小垣江村が被害を受ける。 |
1793 | 寛政5年4月 | B4 | 小垣江村は囲米三十俵の拝借を願い出る。 |
1800 | 寛政12年8月 | B5 | 高取村・高棚村・小垣江村の各庄屋は、百姓一揆で処分を受けて入牢中の高取村善兵衛が、すでに10か年も過ぎ、高齢になったことから連名で出牢の願書を出すが差し戻される。 |
1802 | 享和2年6月17日 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、神明宮・観音両所へ雨乞祈願を行う。 |
1803 | 享和3年6月17日 | B4 | 小垣江村が雨乞御礼として笠踊り奉納をする。 |
1804 | 文化元年6月 | B4・B5 | 刈谷町・元刈谷村・熊村・高津波村・小垣江村が刈谷町市原竜王宮・高津波村医王寺薬師・小垣江村神明宮・同観音寺・池鯉鮒明神などへ雨乞祈願を行う。 |
1804 | ◎ | A1 | 中島秋挙は小垣江の曙庵を拠点として伊勢・伊賀を旅し、紀行文を書く。 |
1805 | 文化2年1月 | A1 | 小垣江村が新田開発を行う。 |
1805 | ◎ | A7 | 誓満寺本尊観音菩薩は松平高月院より譲り受ける。 |
1809 | 文化6年6月 | B4・B5 | 刈谷町・元刈谷村・熊村・高津波村・小垣江村が刈谷町市原竜王宮・高津波村医王寺薬師如来・小垣江村神明宮・同観音寺へ雨乞祈願を行う。 |
1811 | 文化8年3月 | A1 | 中島秋挙は「惟然坊句集」を編集し、刊行する。 |
1818 | 文政元年6月 | B4・B5 | 刈谷町・元刈谷村・熊村・高津波村・小垣江村が刈谷町市原竜王宮・小垣江村神明宮・同観音寺へ雨乞祈願・御礼笠踊りを行う。 |
1820 | 文政3年◎ | A1 | 小垣江村は、海岸に新田を築く計画を立てる。 |
1820 | ◎ | A1 | 築地村神宮寺七坊中の一つに安楽坊という寺号があったのを、楞厳寺十四世春澄が小垣江村に創立して、曹洞宗安楽寺とする。 |
1821 | 文政4年4月〜7月 | B4・B5 | 刈谷町・元刈谷村・熊村・高津波村・小垣江村が刈谷町市原竜王宮・高津波村医王寺薬師如来・小垣江村神明宮・同観音寺へ雨乞祈願・御礼を行う。 |
1823 | 文政6年5月〜6月 | B4・B5 | 刈谷町・元刈谷村・熊村・高津波村・小垣江村が刈谷町市原竜王宮・小垣江村神明宮・同観音寺へ雨乞祈願・御礼を行う。 |
1826 | 文政9年5月〜6月 | B4・B5 | 刈谷町・元刈谷村・熊村・高津波村・小垣江村が刈谷町市原竜王宮・小垣江村神明宮・同観音寺へ雨乞祈願・御礼笠踊りを行う。 |
1826 | 7月25日 | A1 | 刈谷藩士で小垣江村に隠棲した俳人中島秋挙が急逝する。 |
1826 | 11月 | B8 | 福島藩領の小垣江村他六か村と、刈谷藩の刈谷町の外10か村は、川堀瀬違いをし、排水をよくすれば異議無しという証文を取り交わして、干拓工事を進める。 |
1832 | 天保3年7月7・15日 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、神明宮・観音両所へ雨乞祈願を行う。 |
1834 | 天保5年6月〜8月 | B4・B5 | 刈谷町市原竜王宮・高津波村医王寺薬師如来・小垣江村神明宮・同観音寺へ雨乞祈願・御礼を行う。 |
1835 | 天保6年3月26日 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、同村神明宮・観音寺へ七昼夜の雨乞祈願を行う。 |
1835 | 5月28日 | B4 | 小垣江村は、雨乞御礼として笠踊りを行う。また29日に神明宮・観音寺へ雨乞祈願を行う。 |
1836 | 天保7年8月13日 | B6・B7 | 尾張南部・三河全般が暴風雨により、大被害を蒙る。このため、各地は大凶作となり、飢饉が一段と深刻になる。 |
1839 | 天保10年6月7日 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、勢州多度山大権現を請待し、小垣江村神明宮神前において五夜五日の雨乞祈願を行う。 |
1842 | 天保13年6月18日 | B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺へ五夜五日の雨乞祈願を行う。 |
1844 | 弘化元年7月 | B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願・御礼獅子舞を行う。 |
1846 | 弘化3年6月14日 | B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺へ挑灯献灯をして雨乞立願を行う。 |
1846 | 6月 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願・御礼獅子舞を行う。 |
1847 | 弘化4年6月 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願・御礼神馬二疋を献じる。 |
1848 | 嘉永元年7月 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願・御礼笠踊りを行う。 |
1849 | 嘉永2年6月 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願を行う。 |
1850 | 嘉永3年6月 | B4 | 小垣江村は神明宮・観音寺へ雨乞祈願を行う。 |
1851 | 嘉永4年3月 | B4 | 巡見橋が掛け替えとなる。 |
1851 | 7月 | B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願をする。 |
1853 | 嘉永6年5月〜6月 | A1・B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺両所へ雨乞祈願する。 |
1853 | 8月 | B4 | 小垣江村が田畑旱魃に付き、御用捨の嘆願をする。 |
1854 | 安政元年11月4日 | A1・B4・B5 | 朝五ツ半時大地震が起きる(安政東海地震)。三河地方の被害は大きく、刈谷藩では、元刈谷村の中石新田の堤防が破壊して新田が消滅する。また、海辺が上がり、潮時には水が市原神社の鳥居先まで届くようになった。御本城・御殿・奥土蔵・御城石垣・同土塀・町口番所・家中屋敷の過半が破損の被害を受ける。刈谷町の大悟寺本堂・金毘羅常夜灯・下町常夜灯・本町祭礼蔵なども倒れる。小垣江村でも郷蔵が大破、14軒もの家が潰れる。 |
1855 | 安政2年5月7日 | B4 | 小垣江村は旱魃に付き、同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願を行う。 |
1855 | 6月24日 | B4 | 小垣江村が疫病流行に付き、津島牛頭天王を迎える。 |
1856 | 安政3年6月 | B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願を行う。 |
1856 | 7月27日 | A9 | 大雨・大水で諸所の堤防が切れ、逢妻川沿いの家に浸水し、家・諸道具が流れ出す。高須新田・小垣江村巡見橋辺りの堤防も切れる。 |
1857 | 安政4年6月 | B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願を行う。 |
1859 | 安政6年3月 | B4 | 小垣江村の巡見橋の掛替工事が始まる。 |
1859 | 6月〜7月 | B4 | 小垣江村が同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願・御礼を行う。 |
1861 | 文久元年6月 | B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願・御礼を行う。 |
1862 | 文久2年6月21日 | B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺両所へ雨乞祈願をする。 |
1863 | 文久3年6月〜7月 | B4 | 小垣江村は同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願を行う。 |
1863 | 11月 | B4 | 小垣江村は時候不順に付き田方不作のため御用捨を願い出る。 |
1864 | 元治元年4月〜7月 | B4 | 小垣江村が同村神明宮・観音寺へ雨乞祈願・御礼を行う。 |
1864 | 7月25日 | B4 | 小垣江村は瘟疫流行のため厄神送りを願い出る。 |
1865 | 慶応元年5月 | B4 | 小垣江村は極難渋の百姓へ籾米20俵の拝借を重原役所へ願い出る。 |
1870 | 明治3年2月 | B4 | 小垣江村の者が重原藩に新田開発試作を願い出る。 |
1871 | 明治4年6月7日 | B4 | 旱魃に付き、小垣江村神明宮・同観音寺へ雨乞祈願し、裸馬六疋で御礼を行う。 |
1871 | 9月7日 | B4 | 小垣江村は難病に付き、祈願のため同村天王社で祭りを行う。 |
1871 | 11月15日 | A1・C4 | 三河諸県を廃して、新たに碧海・幡豆・額田・加茂・設楽・宝飯・渥美・八名・知多の9郡が合併して額田県となる。県庁は岡崎城内に置かれる。 |
1871 | ◎ | A1 | 小垣江村神明神社(字大道西・字下)が村社に列せられる。 |
1872 | 明治5年1月 | A1 | 額田県が開庁する。管内を九大区に分け、碧海郡は第二大区となる。 |
1872 | 3月4日 | A1・A3・C4 | 額田県内を九大区に分け、さらに10小区に分ける。第二大区の戸長に旧刈谷藩士木村琢磨が任命される。刈谷をはじめ20か村は小六区となり、戸長には刈谷村の天野三吾郎が任命される。泉田村をはじめ19か村は小七区で、知立村の井村啓ニ郎が戸長となる。東境村をはじめ20か村は小八区で、戸長には今村の長谷川今五郎。上・下井ケ谷村は小十区に編入される。 |
1872 | 4月 | A1 | 小区の区画が広すぎるため、再編成される。小六区 刈谷村・熊村・高津波村・元刈谷村・高須村・小垣江村・犬ケ坪村ほか六か村。 |
1872 | 8月 | B4 | 額田県地理編輯 掛の者が廻村して、村々古来の申伝・旧記などを調べる。 |
1872 | 11月27日 | A1 | 額田県が廃止され、愛知県に併合する。そして県内を十五大区に分け、碧海郡は第九大区と定められる。 |
1873 | 明治6年12月10日 | A1 | 第六三番小学小垣江学校は、小垣江村誓満寺に創立される。 |
1874 | 明治7年11月 | A1・B8 | 第六三番小学小垣江学校は誓満寺庫裏から専称寺に移転する。 |
1875 | 明治8年1月1日 | A1 | 刈谷郵便取扱所は刈谷郵便局と改称する。 |
1876 | 明治9年7月1日 | A1 | 犬ケ坪村は小垣江村に合併する。 |
1876 | 8月21日 | A1・B8 | 愛知県は従来の大小区を廃止し、県内を郡単位の十八区に分け、碧海郡は第九区となる。第九区長には市川一貫が任命される。また、第九区会所は竹内林衛方から知立村の東海道旧問屋場に移転する。 |
1876 | ◎ | A1・B8 | 第六三番小学小垣江学校は高須村に分教場を置く。 |
1878 | 明治11年7月 | B8 | 郡区町村編成法公布により、従前の各区を廃し、第九区は碧海郡となる。 |
1878 | 12月20日 | A1・B2・B6 | 愛知県は三新法を施行し、郡・町・村を再編集する。「碧海郡」の名が公式の行政区域名として確定したのはこのときである。初代碧海郡長には、旧重原藩士市川一貫が就任する。 |
1878 | ◎ | A1 | 小垣江村の巡見橋は土橋から板橋に変わる。 |
1879 | 明治12年5月 | A1・B8 | 三新法公布により県会が発足し、第一回愛知県会議員選挙が行われ、碧海郡からは刈谷村大野定が当選する。 |
1880 | 明治13年5月5日 | A4 | 小垣江村の紫雲庵は、寺号を紫雲寺と改める。 |
1880 | 11月8日 | A1・B8 | 第六三番小学小垣江学校は、犬ケ坪と小垣江新田に分校を設置する。 |
1882 | 明治15年11月 | A1 | 額田郡を除く愛知県下の学区が新たに設定される。第六五番小学小垣江学校 小垣江村・高須村 |
1884 | 明治17年8月1日 | A1 | 各町村の戸長役場が廃止され、新たに数か村を一組として、碧海郡内は44の組に分けられる。戸長役場:第四組 役場所在地:小垣江村 管轄区域:小垣江村・吉浜村 |
1885 | 明治18年4月 | A1 | 小垣江村と元刈谷村を結ぶ巡見橋が、板橋から欄干付きの木造橋に変わる。 |
1887 | 明治20年4月1日 | A1・B8 | 愛知県では「小学校設置区域及位置」を改定し、学区の統合が行われる。校名:第四学区小垣江尋常小学校 学区:小垣江村・吉浜村 |
1888 | 明治21年7月28日 | A1・B9 | 小垣江尋常小学校の新校舎が竣工する。 |
1889 | 明治22年10月1日 | A1 | 町村制が施行される。小垣江村(吉浜村を分離)==>小垣江村 |
1891 | 明治24年4月1日 | A1 | 愛知県で郡制が施行される。 |
1891 | 4月15日 | A1 | 碧海郡会議員として刈谷町加藤新右衛門、逢見村鈴木文助、小垣江村江坂磯七、高棚村江川甚太郎が選出される。 |
1891 | 10月28日 | A1 | 午前6時37分濃尾大地震が発生する。刈谷付近では震度5〜6と推定される。各地域とも大きな被害を受ける。 |
1893 | 明治26年4月 | A1・B8 | 亀城高等小学校は刈谷町ほか17か村学校組合に組織改編する。刈谷町・元刈谷村・逢妻村・小山村・小垣江村・半高村・重原村の他、現高浜・碧南・安城・豊田・西尾の各市域の村々も加わる。 |
1894 | 明治27年8月4日 | A1 | 日清戦争が始まり、第三師団管轄下の野田村にも7名の在郷軍人に動員令が出される。病気の欠員1名を除く6名は、命令を受けて1時間10分後に出発する。 |
1894 | ◎ | A1 | 枕返塚(小垣江町荒井)は、窯業鈴木八蔵が粘土採取工事の際、須恵器・鉄刀一口・金環二点が出土したことから古墳であることが判明する。 |
1895 | 明治28年11月 | A8・C2 | 小垣江村神明神社境内に、表忠碑が建立される。 |
1898 | 明治31年6月26日〜8月31日 | A1 | 小垣江村で31人の伝染病患者が発生し、30%近い死亡率となる。 |
1898 | 7月18日 | A1 | 小垣江村で仮隔離病舎を建設し、伝染病患者を収容する。 |
1899 | 明治32年4月1日 | A1・B8 | 碧海郡内高等小学校の区域が改定され、亀城高等小学校は刈谷町ほか7か村学校組合立(刈谷・元刈谷・逢妻・小山・小垣江・吉浜・半高・重原)と改められる。 |
1899 | 10月27日 | A1 | 元刈谷村八雲神社境内で、第二区尋常小学校生徒の大運動会が行われ、吉浜・小垣江・半高・刈谷・小山の5小学校が参加する。 |
1900 | 明治33年8月 | A1 | 小垣江村は愛知県知事より認可を受け、字南藤に伝染病隔離病舎を建設する。 |
1901 | 明治34年6月 | A1・B8 | 小垣江村は亀城高等小学校の学校組合を一部解除して小垣江尋常小学校に二年制の高等小学校を併置し、小垣江尋常高等小学校と改称する。高等科三・四年生は亀城高等小学校に委託する。 |
1901 | 10月 | A1 | 小垣江村青年夜学会が組織される。 |
1901 | ◎ | A1 | 猿渡悪水について普通水利組合の規約が制定され、半高村長が管理者となる。市域の重原村・元刈谷村・小垣江村・半高村・野田村及び他村と合わせて25人の議員により農業生産の展開に努める。 |
1902 | 明治35年1月 | B1 | 小垣江村に○平織布工場ができ、白木綿を織る。 |
1902 | 5月 | A5 | 元刈谷村・刈谷・小垣江を含む地区で碧海郡水産組合が設立される。 |
1903 | 明治36年1月6日 | B4 | 小垣江村役場が移庁(小垣江村字古浜田)する。 |
1903 | 6月22日 | B4 | 大雨・大雷があり、藤江・石浜・小垣江は五、六寸の雹が降り、被害を受ける。 |
1903 | 9月25日 | B8 | 県会議員に長谷川竹次郎(小垣江村)が当選する。 |
1903 | 9月30日 | A1 | 碧海郡会議員に竹内慶三郎(重原村)・岡本広太郎(刈谷町)・谷沢紋治郎(小山村)・早川岸松(境村)・平松善兵衛(小垣江村)が当選する。 |
1903 | 11月22日 | A4 | 小垣江村竜江寺は、焼失した本堂・鐘楼堂を再建する。 |
1903 | 12月10日 | A1 | 小垣江村に小垣江郵便受取局が開設される。 |
1905 | 明治38年4月1日 | A1 | 小垣江郵便受取局は小垣江郵便局となる。 |
1905 | ◎ | A1 | 小垣江村最勝庵(最勝寺)が創立される。 |
1906 | 明治39年5月1日 | A1・B8 | 大規模な町村合併が行われ、刈谷町・元刈谷村・逢妻村・小山村・下重原村が合併して刈谷町、一ツ木村・逢見村・境村・東境村が合併して富士松村、野田村・小垣江村・高棚村・半高村・長崎村大字井杭山が合併して依佐美村ができる。 |
1906 | 5月 | A1 | 依佐美村大字小垣江と高棚に駐在所が開設される。 |
1906 | 8月14日 | B8・C4 | 刈谷町長に加藤新右衛門、依佐美村長に近藤八左衛門が就任する。 |
1906 | 12月1日 | C3 | 衣浦貯金銀行は、依佐美村大字小垣江字下の竹内辰次郎に小垣江代理店として委嘱する。 |
1907 | 明治40年1月1日 | A1・B8 | 町村合併により、各小学校は前年12月31日をもって一応廃校となり、新たに名称を変更して発足する。小垣江尋常高等小学校==>依佐美第一尋常高等小学校 高棚尋常高等小学校===>依佐美第ニ尋常高等小学校 野田尋常高等小学校===>依佐美第三尋常高等小学校 |
1907 | 1月20日 | B1 | 刈谷町立農商業補習学校、依佐美村第一・第二・第三・第四農業補習学校が創立される。 |
1907 | 9月11日 | A1 | 依佐美村長に石川九郎吉が就任する。 |
1907 | 9月25日 | B8 | 県会議員に高野松次郎(刈谷町)・長谷川竹次郎(依佐美村・二期目)が当選する。 |
1907 | 9月30日 | A1 | 碧海郡会議員に鈴木彦五郎(刈谷町)・坂田幸七(富士松村)・加藤達平(小垣江村)が選出される。 |
1908 | 明治41年3月31日 | A1・B8 | 小学校令がさらに改正され、小学校が統合される。依佐美第二尋常高等小学校は高等科を廃止して依佐美第二尋常小学校となる。依佐美第三尋常高等小学校は高等科を廃止して、同第四尋常小学校を統合して依佐美第三尋常小学校となる。 |
1908 | 3月 | B1 | 依佐美村に山田織布工場ができ、白木綿を織る。 |
1908 | 6月7日 | C3 | 碧海銀行野田代理店が、依佐美村大字野田字西屋敷の加藤惣衛宅に契約変更される。 |
1908 | 10月13日 | A1・B1 | 依佐美村大字野田に野田戌申青年会が創立される。 |
1908 | 12月20日 | A1 | 戌申詔書発布の趣旨に基づき、依佐美村大字高須では新たに委員会を発足させる。 |
1909 | 明治42年3月23日 | B8 | 依佐美村長に神谷三五郎が就任する。 |
1909 | 4月28日 | A1・B8 | 依佐美第一尋常高等小学校は校舎を新築し、落成式が行われる。 |
1909 | 6月1日 | A1 | 小垣江村郵便局は依佐美郵便局と改称する。 |
1909 | ◎ | A1 | 依佐美村大字小垣江の養蚕農家の間で生繭の共同販売が始まる。 |
1910 | 明治43年4月1日 | A1・B1 | 依佐美村大字小垣江に期成青年会が創立される。 |
1910 | 8月20日 | B8 | 依佐美村長に御宿左一郎が就任する。 |
1910 | 10月1日 | A1・B1 | 依佐美村大字小垣江に小垣江青年会が創立される。 |
1911 | 明治44年3月21日 | A1 | 依佐美村で電話が開通する。 |
1911 | 3月25日 | A4 | 依佐美村大字半城土の願行寺の諸堂が完成し、入仏供養が行われる。 |
1911 | 春 | A1 | 従来の小垣江養蚕組合を小垣江養業共同組合と改称し、規約を設ける。繭の販売先は、木下製糸・前田製糸・三竜社・山丸製糸・近藤製糸などである。 |
1911 | 6月19日 | A1 | 暴風雨により依佐美第三尋常小学校の校舎が倒壊するなどの被害がでる。 |
1911 | 9月25日 | A1・B8 | 県会議員の選挙が行われ、磯部栄吉(依佐美村)が当選する。 |
1911 | 9月30日 | A1 | 碧海郡会議員に石原平一郎(刈谷町)・鈴木源松(富士松村)・石川九郎吉(依佐美村)が選出される。 |
1911 | 10月6日 | A1・B8 | 明治四41年の小学校の統廃合で廃校になった依佐美第四尋常小学校は、同第三尋常小学校から分離・独立して、再び依佐美第四尋常小学校として開校する。 |
1911 | 10月17日 | A1・B8 | 依佐美村長に宮田作次郎が就任する。 |
1912 | 大正元年3月 | A1 | 依佐美第四尋常小学校の新校舎が竣工する。 |
1913 | 大正2年4月2日 | A1・B8 | 明治40年の小学校統廃合で廃止された依佐美第三尋常小学校の高等科は、再び併置となり、依佐美第三尋常高等小学校と改称する。また校舎が新築され、5日に落成式が行われる。 |
1913 | 5月3日 | A8 | 依佐美村に初めて電灯がつく。 |
1913 | 8月31日 | A1・B8 | 依佐美村長に石川九郎吉(二期目)が就任する。 |
1914 | 大正3年2月5日 | A1・B8・C4 | 三河鉄道は、第一期工事区間(刈谷新駅・大浜港駅間14.5Km)が竣工し、営業を開始する。市域では刈谷新駅・刈谷町駅・小垣江駅が設置される。 |
1915 | 大正4年9月25日 | A1・B8 | 県会議員に磯部栄吉(依佐美村)が当選する。 |
1915 | 9月30日 | A1 | 碧海郡会議員に尾島健治(刈谷町)・塚本市次郎(富士松村)・江坂広太郎(依佐美村)が選出される。 |
1915 | 10月10日 | B8 | 依佐美尋常小学校に御大礼記念として半高文庫が開館する。 |
1916 | 大正5年3月 | A1 | 依佐美村大字小垣江で、蚕具消毒用の器具設備の協議が行われ、字荒畑に煉瓦作りの消毒室を設置して蚕病の予防を図る。 |
1916 | 5月14日 | A1・B8 | 依佐美村長に宮田作次郎(二期目)が就任する。 |
1917 | 大正6年5月17日 | B4 | 依佐美青年会小垣江支会の発会式が行われる。 |
1918 | 大正7年5月27日 | A1 | 依佐美村大字野田の産業組合が設立の許可を受ける。 |
1918 | 8月15日 | A8 | 小垣江信用販売購買利用組合が組織される。 |
1918 | 9月26日 | A1・B8 | 依佐美村長に神谷三五郎(二期目)が就任する。 |
1919 | 大正8年9月30日 | A1 | 碧海郡会議員に宍戸俊治(刈谷町)・近藤岩次郎(富士松村)・宮田作次郎(依佐美村)が選出される。 |
1920 | 大正9年5月10日 | A1 | 新しい選挙制度に基づき、第一四回総選挙が行われる。選挙区が改定され、碧海郡は第十区となる。 |
1920 | 5月25日 | A1・B8 | 依佐美村長に御宿左一郎(二期目)が就任する。 |
1920 | 11月29日 | B8 | 依佐美村長に石川九郎吉(三期目)が就任する。 |
1921 | 大正10年◎ | A1・C5 | 依佐美小作組合・元刈谷小作組合・下重原農事振興会・野田小作組合など、各地に小作組合が設立される。 |
1922 | 大正11年4月21日 | A1・B8 | 依佐美村長に宮田作次郎(三期目)が就任する。 |
1922 | 5月 | A1・A8 | 依佐美村大字野田に野田信用販売購買組合が設立される。 |
1922 | 5月 | A1 | 刈谷町と依佐美村の有志が、農産物の集散交流を目的として西三市場(後の刈谷青果市場)を創立する。 |
1922 | ◎ | A1 | 依佐美村大字野田は、地租軽減請願を大蔵大臣に提出する。 |
1923 | 大正12年4月27日 | C1 | 刈谷西尾線・刈谷刈谷停車場線・逢見刈谷町停車場線・知立高浜線・莇生知立線・大府刈谷線・安城小垣江線・安城刈谷線を県道に移管する。 |
1923 | 9月1日 | A1 | 関東大震災が起きる。刈谷でも建築中の家が一戸倒れ、石碑・灯籠なども多く倒れる。 |
1923 | 9月 | A1 | 対欧無線電信所設立場所として、依佐美村が第一候補にあげられ、実地測量・用地買収も終えていたが、関東大震災により財政的に工事着工は不可能となる。 |
1923 | 11月6日 | A1 | 依佐美村役場は関東大震災に関する美学美談を調査するよう各区長に連絡する。 |
1923 | ◎ | A1 | 東海道本線依佐美駅開設運動が依佐美村で起きる。 |
1924 | 大正13年7月1日 | A1 | 依佐美村長宮田作次郎は、対欧無線電信所の道路及びその付帯工事を地元で請け負わせてほしい旨、通信大臣犬養毅宛の嘆願書を村民155名と連署して提出する。 |
1925 | 大正14年1月23日 | A1・B8 | 依佐美村長に神谷三五郎(三期目)が就任する。 |
1925 | 4月1日 | A1・B8 | 依佐美第四尋常小学校は、高等科併置により校名を依佐美第四尋常高等小学校と改称する。 |
1926 | 昭和元年1月22日 | A1・B8 | 依佐美村長に石川九郎吉(四期目)が就任する。 |
1926 | 3月24日 | A1 | 依佐美村大字野田で農民自治惣代選挙が行われる。 |
1926 | 4月 | A8 | 依佐美村大字小垣江に図書館が開館される。 |
1926 | 6月27日 | A1 | 地方官管制の改正の公布により、郡長の制が廃止されることになり、安城町の碧海郡役所で廃庁式が行われる。七月一日から郡役所が廃止される。 |
1926 | 7月1日 | B8 | 依佐美第三尋常高等小学校に依佐美村立野田図書館、依佐美第四尋常高等小学校に依佐美村立半高図書館が開館する。 |
1926 | 8月19日 | A1 | 依佐美村に無線電信局が設置された場合、その収入は将来村と関係大字で折半したいと村会議員で協議する。 |
1926 | 9月21日 | A1 | 県の告示により、巡査部長派出所の全面改正があり、安城警察署刈谷巡査部長派出所となる。受け持ち区域は、刈谷町大字刈谷・小山・元刈谷・重原の各駐在所と、依佐美村大字野田・高棚・小垣江の各駐在所及び刈谷停車場駐在所の八か所である。また、富士松村大字逢見・境両駐在所は、安城警察署知立巡査部長派出所の管轄となる。 |
1926 | ◎ | A1 | 野田小作組合(依佐美村大字野田)は野田農民組合と改称する。 |
1927 | 昭和2年3月 | A1 | 三河鉄道は日本無線電信と、同社依佐美送信所建設のための専用鉄道敷設工事について、契約書を作成する。 |
1927 | 4月12日 | A1 | 愛知県知事柴田善三郎より鉄道大臣井上匡四郎へ、日本無線電信依佐美送信所建設のため「専用鉄道敷設免許ノ件副申」を提出する。 |
1927 | 4月16日 | A1 | 三河鉄道は、岡崎電気軌道と合併する。 |
1927 | 5月3日 | A1 | 日本無線電信依佐美送信所建設工事に伴い、三河鉄道小垣江駅より建設現場(依佐美村大字高須)まで約2.4キロメートルの専用鉄道敷設を政府から免許される。 |
1927 | 5月19日 | A1 | 五月四日から着手した日本無線電信依佐美送信所建設専用鉄道の敷設工事が完成する。 |
1927 | 7月11日 | A1 | 日本無線電信依佐美送信所建設専用鉄道の運転開始が認可される。 |
1927 | 9月30日 | A1 | 日本無線電信依佐美送信所建設専用鉄道は、資材運搬の役目を終わり、運転を止め軌道撤去に取り掛かる。 |
1928 | 昭和3年5月4日 | A8 | 依佐美第一少年赤十字団発団式が行われる。 |
1929 | 昭和4年3月 | A1・B8 | 依佐美村大字高須に高さ250メートルの八本の大鉄塔が完成し、日本無線電信依佐美送信所の局舎など諸施設が竣工する。 |
1929 | 4月15日 | A1 | 日本無線電信依佐美送信所において、長波装置・短波装置各一台で対欧無線通信を開始する。開局式は18日に行われる。 |
1929 | 6月 | B8 | 依佐美村大字小垣江の専称寺、刈谷町大字重原の浄福寺、同小山の敬専寺、同高津波金勝寺に農繁期託児所が開設される。 |
1929 | ◎ | A1 | 依佐美村大字野田の産業組合は、新たに敷地・建物を字西屋敷に買い入れ、信用を主として販売購買の事業を兼務する。 |
1930 | 昭和5年1月22日 | A1・B8 | 依佐美村長に長沢国松が就任する。 |
1932 | 昭和7年1月 | A1 | 神谷青坡を中心に依佐美村に依佐美短歌会が結成され、「芋の芽」が発行される。 |
1932 | 6月 | A8 | 依佐美村大字小垣江の安楽寺に託児所が開設される。 |
1932 | 夏 | A1 | 依佐美村農会では三重高等農業学校の教授を招いて、農業夏季大学が開催される。 |
1932 | 11月 | A8 | 依佐美村に方面委員が創始される。 |
1934 | 昭和9年1月22日 | A1 | 依佐美村長に長沢国松(二期目)が就任する。 |
1934 | 4月 | C6 | 依佐美村大字野田村は、里民規約四一条を設ける。 |
1935 | 昭和10年7月1日 | A1 | 依佐美村立青年学校が設立認可されて、同第一尋常高等小学校に併置して開校する。 |
1935 | 7月11日 | A8 | 依佐美村大字野田字東屋敷に郵便取扱所が開設される。 |
1935 | 7月25日 | A1・B8 | 依佐美村長に鶴見友七が就任する。 |
1935 | 11月 | A1 | 依佐美第四尋常高等小学校は、校内に遙拝塔を建設し、伊勢神宮・明治川神社・宮城の遙拝が行われる。 |
1936 | 昭和11年4月13日 | A1・B8 | 依佐美村長に江坂広太郎が就任する。 |
1936 | ◎ | A1 | 日本無線電信依佐美送信所は、短波需要の増大により短波専用局舎を建設する。 |
1938 | 昭和13年3月 | A1 | 日本無線電信は、国際電話と合併し国際電気通信となる。 |
1939 | 昭和14年1月 | A1 | 防護団の活動に消防組員と在郷軍人の対立などがあり、指揮命令系統を一元化した警防団令が勅令として発せられる。刈谷警防団は八分団658名で構成される。 |
1939 | 5月23日〜6月5日 | A1 | 農業者による初の勤労移動班が出勤する。西加茂郡高橋村から養蚕作業について要請があり、高浜町126人・依佐美村5人・刈谷町9人などがこれに応じる。 |
1939 | 7月1日〜6日 | A1 | 養蚕作業のお返しとして、西加茂郡高橋青年学校生徒60人が、田植えの時期に依佐美村へ応援に来る。 |
1939 | ◎ | A1 | 国際電気通信依佐美送信所は、前年中に短波空中線用75メートル自立式鉄塔五基を新設したのに続き、さらに同85メートル鉄塔五基を新設する。 |
1940 | 昭和15年4月13日 | A1・B8 | 依佐美村長に鶴見友七(二期目)が就任する。 |
1940 | 5月23日〜6月6日 | A1 | 刈谷町・依佐美村・知立町・高浜町・旭村(現碧南市)など三町四村の女子135名は、春季農業労働移動班を結成して、養蚕作業に従事する。 |
1940 | 5月26日〜7月7日 | A1 | 豊田自動織機製作所をはじめ市内の工場から1万2174人が出て、1市11郡23町33村に養蚕・除草・茶摘み・桑摘み・麦刈・田耕その他の農作業に勤労奉仕が行われる。 |
1940 | 7月8日 | A1 | 安城警察署刈谷警部補派出所の指揮下で、依佐美村大字小垣江字本郷において防空実地訓練が行われる。 |
1940 | 11月6日〜12月12日 | A1 | 刈谷町内外の35工場から、1万4601人と刈谷中学校生徒1833人が動員され、100市町村余へ稲刈・稲運搬・脱穀・田耕その他の農作業に勤労奉仕を行う。 |
1940 | 11月10日 | A1・B9 | 紀元2600年祝典が全国一斉に行われる。小垣江尋常高等小学校では記念植樹が行われる。 |
1940 | 12月10日 | A1・B8 | 依佐美村長に正木桂吾が就任する。 |
1941 | 昭和16年4月1日 | A1・B8 | 国民学校令が施行され、各小学校は次のように改称される。また尋常科は初等科と改称し、高等科が義務化される。 依佐美第一尋常高等小学校==>依佐美村小垣江国民学校 依佐美第二尋常高等小学校==>依佐美村高棚国民学校 依佐美第三尋常高等小学校==>依佐美村野田国民学校 依佐美第四尋常高等小学校==>依佐美村半高国民学校 |
1941 | 6月1日 | A1・C8 | 三河鉄道は名古屋鉄道と合併し、名鉄三河線と呼び、名鉄本線と区別する。 |
1942 | 昭和17年2月26日 | B4 | 依佐美村大字小垣江は、防空演習を始める。 |
1942 | 4月18日 | A1 | ノースアメリカンB35爆撃機が、初めて刈谷町上空に近づき、警戒警報・空襲警報が初めて発せられる。 |
1942 | 8月17日 | B4 | 日婦国民貯蓄組合を大日本婦人会依佐美支部小垣江班必勝国民貯蓄組合と改称する。 |
1942 | 9月3日 | B4 | 大日本婦人会依佐美支部小垣江班の結成式が行われる。 |
1942 | 11月30日 | A1・C7 | 依佐美村は、県知事より国民健康保険組合設立の認可を得る。 |
1942 | ◎ | A4 | 小垣江貞教教会は宗教法人の認許を受ける。 |
1943 | 昭和18年8月7日 | A1・A4 | 依佐美村大字野田の宗教法人浄土宗樹昌教会が認可され、創立される。 |
1943 | 8月 | A1 | 依佐美村小垣江国民学校は、すでに購入してあった土地に木造校舎を新築する。 |
1943 | 12月17日 | B8 | 依佐美村半高国民学校で、学校給食が開始される。 |
1944 | 昭和19年2月9日 | A1 | 依佐美村大字小垣江では、安城教員養成所学徒勤労奉仕隊の応援を得て、暗渠排水工事を行い、食料増産に努める。 |
1944 | 2月15日 | A1 | 依佐美村産業組合が依佐美村農業会となり、設立総会を開いて活動内容を定める。 |
1944 | 10月 | A1・A5 | 刈谷簡易保険健康相談所(大字元刈谷)を引き継ぎ、刈谷保健所は格外保健所として発足する。碧海郡内(刈谷町・知立町・高浜町・新川町・大浜町・棚尾町・高岡村・依佐美村・富士松村・旭村)と愛知郡(鳴海町・豊明村)の7町5村の16万人が管轄となる。 |
1944 | 12月7日 | A1・B8 | 午後1時36分東南海地震が発生する。マグニチュードは8といわれ、刈谷付近は震度6と推定される。依佐美村大字小垣江字本郷辺りは特に大きな被害を受ける。 |
1944 | 12月8日 | A1 | 富士松村大字西境では区会を開き、大震災応急措置について検討する。依佐美村大字小垣江の小垣江事務所に依佐美村役場臨時出張事務所が開設され、地震災害の復旧対策に当たる。 |
1944 | 12月8日〜13日 | A1 | 依佐美村大字小垣江へ地震災害復旧のため、警察・軍隊・学生・民間人など、各地から多くの勤労奉仕隊が応援に来る。 |
1944 | 12月9日 | A1 | 依佐美村では臨時村会議を開催し、災害地の視察をする。 |
1944 | 12月11日 | A1 | 依佐美村大字小垣江へ厚生大臣及び内務政務次官の視察がある。また刈谷町長大野一造が現地を見舞い、金500円を贈る。 |
1944 | 12月11日 | A1 | 依佐美村では羅災者の収容先として、大字小垣江の誓満寺・神社・農業会事務所・国民学校などを当てる。 |
1945 | 昭和20年1月8日 | A1・B8 | 依佐美村長に正木桂吾(二期目)が就任する。 |
1945 | 1月13日 | A1・B8 | 午前3時38分三河地震が発生する。マグニチュードは7.1といわれ、刈谷付近は震度6と推定される。依佐美村大字小垣江は、前回の東南海地震に引き続き、大きな被害を受ける。 |
1945 | 1月15日 | A1 | 碧海郡地方事務所の案内で、貴族院議員富小路隆直・本多忠晃が小垣江の被害状況を視察に来る。刈谷町助役も随行する。 |
1945 | 1月19・20日 | B8 | 刈谷町・依佐美村に震災被害調査団が訪れる。 |
1945 | 1月24日 | A1 | 応急復旧対策の工作隊が羅災地において活動を開始する。 |
1945 | 2月2日 | A1 | 夜、刈谷町にアメリカ空軍の投下弾が落ちる。 |
1945 | 2月10日 | A1 | 三河地震の被災者のうち、六分以上の倒壊の者に対し、所得税・営業税が減免され、釘・カスガイ・缶詰・海苔が配給される。 |
1945 | 2月27日 | A1 | 小垣江国民学校で、破損した校舎の復旧事業についての協議会が開催される。 |
1945 | 3月4日 | A1 | 依佐美村大字小垣江の専称寺では、1月の地震により半壊した本堂が、突然轟音をたてて倒壊する。 |
1945 | 5月1日 | A1 | 小垣江国民学校は、3月25日の名古屋大空襲の翌日から、校内に避難用の防空壕を掘り始め、全児童を収容する20か所の防空壕が完成する。 |
1945 | 5月22日 | A1 | 小垣江国民学校は御真影奉遷式を行い、高棚・野田・半高各国民学校のものとともに、吉浜国民学校へ戦火を避けて疎開させる。刈谷町の亀城・小高原各国民学校、富士松村南国民学校の御真影は、富士松村北国民学校の奉安庫へ奉遷される。 |
1945 | 6月2日・6日 | A1 | 国民義勇隊編成要綱に基づいて、富士松村・小垣江村に義勇隊が組織結成される。 |
1945 | 7月24日 | A1 | 半田空襲の余波を受けて小垣江区事務所近くに爆弾が一発落ち、事務所の窓ガラスが全部割れる。 |
1945 | 8月16日 | A1 | 戦争終結により、刈谷町内外の各軍需工場や農村に動員されていた学徒勤労動員令が解除される。 |
1945 | 9月2日 | A1 | GHQ指令第一号により、軍需工場の生産はすべて停止される。刈谷でも豊田織機をはじめ豊田系の各会社は生産停止に追い込まれる。 |
1945 | 9月3日 | B8 | 依佐美村長に長坂忠一が就任する。 |
1945 | 12月18日 | A1 | 第一次農地改革法案が成立し、依佐美村では「依佐美村自作農地斡旋要網」が配布される。 |
1946 | 昭和21年1月21日 | A1 | 食料事情の悪化に伴い、依佐美村農業会長は各実行組合長に対し「昭和二十年産米供出促進依頼の件」として供出の促進を強く要請する。 |
1946 | 2月 | A1 | 刈谷町の亀城・小高原両国民学校、依佐美村の小垣江・野田両国民学校で、政治講座と模擬投票の催しが開催される。 |
1946 | 3月6日 | A1 | 依佐美村農業会長より各大字区長・支部長に対し、「供米促進用物資特配ニ関スル件」を送付し、供米完遂のため綿布995反・石けん2139個・マッチ696袋を、供出量に合わせて各大字ごとに分配することを通知する。 |
1946 | 4月 | A1 | 戦前からあった三州瓦統制組合が解散し、刈谷町宮田一松・依佐美村神谷林を中心に三州瓦組合第二地区が結成される。 |
1946 | 5月 | A1 | 依佐美村農業会が高須地内の猿渡川神明橋の上流で製塩事業を始める。 |
1946 | 11月1日 | A1 | 依佐美村では、村会議事堂に講師を迎えて農地改革聴講会が開催される。 |
1947 | 昭和22年3月31日 | A1 | 農地改革による第一回の農地買収が行われ、刈谷町では222町歩余、依佐美村では618町歩余、富士松村では351町歩余の田畑が買収される。 |
1947 | 4月1日 | A1・C9 | 六・三制実施により、刈谷町立刈谷第一中学校・同第ニ中学校・依佐美村立依佐美中学校・富士松村立富士松中学校が創立される。 |
1947 | 4月1日 | A1 | 六・三制実施により、国民学校という名称が廃止され、刈谷町立亀城小学校・同小高原小学校・同衣浦小学校・富士松村立富士松南小学校・同北小学校・依佐美村立半高小学校・同野田小学校・同小垣江小学校と校名が変更される。 |
1947 | 4月16日 | B8 | 依佐美村長に丹羽権九郎が就任する。 |
1947 | 4月18日 | B8 | 刈谷第一中学校(現刈谷南中学校)は亀城小学校の校舎で、第二中学校(現刈谷東中学校)は小高原小学校の校舎で、依佐美中学校は小垣江小学校において、開校式が行われる。 |
1947 | 4月30日 | D1 | 刈谷町・依佐美村・富士松村では、それぞれ町村議会議員の一般選挙が行われる。 |
1947 | 5月 | A1 | 国際電気通信依佐美送信所の短波送信業務は、日本政府に移管される。 |
1948 | 昭和23年2月11日 | A1 | 依佐美村農業会が解散総会を小垣江小学校で開き、職員の整理を始める。各種事業は、各部落の農業協同組合に移行する。 |
1948 | 3月7日 | A1 | 警察法の施行により、自治体警察刈谷町警察署(大字刈谷字太郎池、刈谷町農業会事務所を借用)が発足する。なお、富士松村・依佐美村は、碧海地区警察署の管轄下に入る。 |
1948 | 9月1日 | B8 | 依佐美中学校は、22年4月開校以来4つに分かれていたが、小垣江小学校内に全校が統合される。 |
1948 | 12月 | A1 | 小垣江小学校では、給食用砂糖の配給により保護者の手伝いを得て、ミルク・しるこ・惣菜などの部分給食が実施される。 |
1948 | ◎ | A1 | 依佐美村大字野田に野田農業協同組合が設立される。 |
1948 | ◎ | A1 | GHQから国際電気通信依佐美送信所の無線塔の解体命令が出される。 |
1949 | 昭和24年2月11日 | B8 | 刈谷郵便局から電話事務を分離し、刈谷電報電話局が新設される。 |
1949 | ◎ | A1 | 依佐美村大字野田の米穀肥料商藤井和風により、日本歌道普及献詠会が創設され、和歌の道の普及に努める。 |
1950 | 昭和25年4月1日 | A1 | 市制が施行され刈谷市となり、市庁舎の開庁式が行われる。 |
1950 | 4月1日 | A1・B8 | 刈谷市制施行により、町立の幼稚園・小学校・中学校をはじめ諸施設・諸団体の名称が、刈谷市立○○・刈谷市○○と改められる。 |
1950 | 4月 | A1 | 依佐美送信所の無線塔の解体命令は中止され、GHQにより電気興業が設立され、保守運用に当たる。 |
1950 | 5月5日 | D2 | 市民だより第一号が発行される。 |
1950 | 5月18日 | B8 | 依佐美中学校新校舎の落成式が行われる。 |
1950 | 6月 | A1 | 依佐美送信所の無線塔は、アンテナ線16条の取り付けと、その吊架線の改修、障害灯の設置の工事が始められる。 |
1950 | 7月23日 | A1 | 依佐美村大字小垣江・同高須・同野田・同半城土に公民館が開館する。 |
1950 | 9月17日 | A1・C8 | 名古屋鉄道本線と三河線の間に、直通列車が新設される。 |
1951 | 昭和26年2月1日 | D2 | 刈谷市内全小学校の完全給食が実施される。 |
1951 | 3月1日 | D2 | 小学校学区制条例が施行される。 |
1951 | ◎ | B8 | 依佐美村大字小垣江地先の二号地区に、農林省が食糧増産の一環として行った干拓事業を、愛知県が代行することになる。 |
1952 | 昭和27年3月31日 | D3 | 小垣江公民館(大字小垣江字小道)が新築される。 |
1952 | 4月28日 | A1 | 終戦以来続いたGHQの占領が終結し、刈谷では亀城公園グラウンドで、講和条約発効記念式典が行われる。 |
1952 | 4月 | A1・D4 | 依佐美村立慈友保育園が創立される。 |
1952 | 5月 | D5 | 電気興業依佐美出張所が開設される。 |
1953 | 昭和28年6月 | A1・D4 | 依佐美村立双葉保育園が昌福寺(依佐美村大字野田字西屋敷)境内に創立される。 |
1953 | 8月 | D4 | 依佐美村立双葉保育園が設置認可される。 |
1953 | 9月25日 | A1 | 最大風速50メートルという大型台風13号が来襲する。刈谷付近も大きな被害を受ける。依佐美村大字小垣江字御茶屋下の堤防が切れて、海水が浸入する。市原地区は、高潮による逢妻川の決壊で大きな被害を受ける。 |
1953 | 9月 | A1 | 名鉄三河線沿線の各市町村(高浜町・依佐美村・刈谷市・知立町・碧南市)が名鉄三河線複線化促進期成同盟を結成する。 |
1953 | ◎ | A1 | 依佐美村は、東海道本線依佐美駅の新設を計画し、国鉄をはじめ各方面に陳情する。 |
1954 | 昭和29年7月1日 | A1 | 警察法の全面的な改正により、自治体警察の廃止が県警察へ統合し、刈谷市警察署は愛知県刈谷警察署となる。 |
1954 | ◎ | A1 | 依佐美村大字野田地区を中心に、観葉植物・洋らんの栽培が盛んになり、同業者により刈谷地区花卉協同組合が設立される。 |
1955 | 昭和30年1月8日 | D2 | 第一回臨時市議会で、刈谷市及び依佐美村との合併促進協議会規約が設定される。 |
1955 | 2月2日 | A1 | 依佐美村議会が刈谷市との合併を決議すると、大字小垣江・同半城土・同井杭山では相次いで区民大会が開催され、合併の賛否を問う区民投票が行われる。その結果、合併反対が賛成を上回る。 |
1955 | 2月10日 | A1 | 依佐美村では、刈谷市との合併反対の動きを背景に、村長のリコール請求が出されたが成立せず、村議会の決議通り合併の準備が進められる。 |
1955 | 3月30日 | A1 | 刈谷市長・依佐美村長・富士松村長が連名で、愛知県知事に「刈谷市建設計画の決定について(届出)」を提出する。 |
1955 | 4月1日 | A1・B8 | 刈谷市と富士松村が合併する。依佐美村は分村して、大字小垣江・高須・半城土・野田は刈谷市へ合併し、大字井杭山・二本木・高棚は安城市へ合併する。 |
1955 | 4月1日 | B8 | 刈谷市との合併により、富士松村立・依佐美村立の各小中学校・保育園は、いずれも刈谷市立○○学校・同保育園と改称される。 |
1955 | 4月16日 | A1 | 刈谷市役所大会議室で、刈谷市議会議員と富士松・依佐美両地区からの特別委員が初顔合わせをする。 |
1955 | 5月14日 | D1・D2 | 刈谷市制施行五周年及び富士松・依佐美両村の合併祝賀式が亀城小学校の講堂で行われる。 |
1955 | 6月24日 | D2 | 刈谷市・富士松村・依佐美村の合併により、刈谷市議会議員の選挙区に関する条例が公布される。 |
1955 | 7月2日 | A1 | 富士松・依佐美両村との合併に絡んで市長不信任問題が起こり、刈谷市長岡本謹平が辞任する。 |
1955 | 7月9日 | A1 | 合併前の刈谷市議会議員が総辞職する。 |
1955 | 7月20日 | A1 | 刈谷市・富士松村・依佐美村の合併後最初の第二回市長選挙が行われる。第三代刈谷市長に竹中七郎が当選する。 |
1955 | ◎ | A1 | 合併により消防団は、刈谷地区8・富士松地区10・依佐美地区6の計24分団となり、団員732人となる。 |
1955 | ◎ | A1 | 依佐美村が刈谷市に合併されたことから、依佐美駅の誘致は市側に引き継がれる。 |
1956 | 昭和31年8月25日 | A1 | 小林記録紙製造所は、手狭になった大字刈谷字太郎池(現寿町)から大字小垣江字北高根に新工場を完成させ、移転する。 |
1957 | 昭和32年3月31日 | D3 | 小垣江公民館(大字小垣江字小道)が新築される。 |
1957 | 3月 | A1 | 市議会全員協議会は、依佐美地区の半高小学校と野田小学校の統合を決定する。 |
1957 | 9月21日 | D6 | 清水橋・巡見橋(大字小垣江)の竣工式が行われる。 |
1957 | 11月 | A1 | 愛知用水の工事が全面着工される。 |
1957 | ◎ | A1 | 依佐美無線施設から在日米海軍通信隊が撤退する。 |
1958 | 昭和33年1月 | A1・D7 | 野田の地蔵山地区に依佐美駅(仮称)を開設する運動は、刈谷市単独で行う方針を決める。 |
1958 | 5月31日 | D6 | 小垣江小学校の講堂兼体育館の竣工式が行われる。 |
1958 | 7月1日 | D7 | 刈谷市教育委員会は、9月30日で野田小学校と半高小学校を統合のため廃止し、新しく双葉小学校を設立することを決める。 |
1958 | 9月30日 | A1・B8 | 野田小学校と半高小学校が廃校となる。 |
1958 | 10月1日 | A1・C9 | 野田小学校と半高小学校の統合により双葉小学校が創立される。 |
1959 | 昭和34年1月20日 | A1 | 刈谷市は、再三延期された双葉小学校建設の地鎮祭を強行しようとしたが、野田地区の住民が学校予定地に集結したため、急遽市役所三階の第一会議室に変更して行われる。そこで、野田地区住民は、婦人部を中心に市役所内に座り込みを開始する。 |
1959 | 5月8日 | A1 | 双葉小学校校舎建設問題について、野田の昌福寺で住民大会が開かれ、闘争態勢を解き、市当局と平和的交渉をもつことを決定する。その仲介を豊田自動織機製作所社長石田退三に依頼する。 |
1959 | 5月30日 | A1 | 双葉小学校校舎建設問題について、検挙者全員が不起訴になるように市が努力するなど、仲介者石田退三の調停案四項目を、市当局と野田側が受け入れ、事態は終息する。 |
1959 | 9月26日 | A1 | 台風15号(伊勢湾台風)が東海地方を襲う。市域での死者14人、罹災者総数15030人、元刈谷・小垣江両地区の海岸堤防が高潮のために決壊し、約300町歩の稲田が冠水する。 |
1959 | 10月1日 | A1 | 双葉小学校の校舎が竣工し、開校式が行われる。 |
1959 | 10月8日 | A1 | 伊勢湾台風から2週間経った時点で、冠水地域は元刈谷流作新田一帯と小垣江町御茶屋下一帯で239ヘクタールの水田が収穫皆無の被害を受ける。 |
1959 | 10月23日 | A1 | 伊勢湾台風により決壊した小垣江境川河口の二号地干拓地の仮締め切りが成功する。 |
1959 | 12月11日 | D8 | 双葉小学校野田分教場の閉鎖式が行われる。 |
1959 | 12月14日 | D8 | 双葉小学校半高分教場の閉鎖式が行われる。 |
1960 | 昭和35年6月1日 | A1・D7 | 名鉄バス小垣江線(刈谷駅前・西尾)が開通する。 |
1960 | 11月 | A1・D9 | 東芝炉材が敷地不足と排煙による環境問題のため、小垣江町に新工場建設を計画し、用地買収に着手する。 |
1962 | 昭和37年4月6日 | D2 | 双葉保育園が移転(大字野田字森前・旧野田小学校跡)する。 |
1963 | 昭和38年1月12日 | D7 | 境川河口一号干拓地(衣崎町)と境川ニ号干拓地(小垣江町)の堤防改良復旧工事の完工式が行われる |
1963 | 1月 | A1 | 国際電気興業依佐美出張所は、依佐美送信所と改称する。 |
1963 | 9月13日 | A1 | 小垣江地区で、刈谷市初の老人クラブが結成される。 |
1963 | 9月30日 | D2 | 刈谷市老人ホーム(大字野田字西田・野田公民館南側)が完成する。 |
1963 | 10月13日 | A1 | アメリカの原子力潜水艦が横須賀基地に寄港したのをきっかけに、県下唯一のアメリカ軍基地依佐美送信所の撤去を求めるデモや集会が行われる。 |
1963 | 10月20日 | A1 | 野田地区で、老人クラブが結成される。 |
1964 | 昭和39年8月20日 | A1・D7 | 依佐美送信所が構内を一般に開放し、盆踊り・バンド演奏等が行われる。 |
1964 | ◎ | A1 | 小垣江地区で、稲作の集団栽培が始まる。 |
1968 | 昭和43年4月1日 | A1・D9 | 東芝炉材は、東芝電興と合併し、東芝セラミックスとして発足する。 |
1968 | 4月6日 | A1 | 元刈谷・小垣江・東境の各農協が刈谷市農業協同組合への合併予備契約に調印する。 |
1968 | 7月25日 | D2 | 依佐美中学校のプールが竣工する。 |
1968 | 10月1日 | A1 | 元刈谷・小垣江・東境の農協が、刈谷市農協と合併する。 |
1969 | 昭和44年4月1日 | A1・C9 | 小垣江幼稚園が創立される。 |
1969 | 11月1日 | D2 | 小垣江幼稚園の園舎が竣工する。 |
1970 | 昭和45年7月14日 | E1 | 小垣江小学校の講堂が竣工し、竣工式が行われる。 |
1970 | ◎ | A1 | 小垣江地区に米の乾燥調整施設(南部ライスセンター)が設置される。 |
1971 | 昭和46年7月5日 | D2 | 小垣江小学校・刈谷東中学校のプールが竣工する。 |
1971 | 8月23日 | E2 | 東竜南児童遊園(小垣江町)・東竜北児童遊園(小垣江町)が開設される。 |
1971 | ◎ | A1 | 刈谷機械工業協同組合は、組合員各社の従業員用に組合グランド(現小垣江グランド)を造成する。 |
1972 | 昭和47年5月27日 | E2 | 西屋敷児童遊園(野田町)が開設される。 |
1972 | ◎ | A1 | 刈谷市農協がスーパーマーケット(小垣江町・現Aコープ)を開店する。 |
1973 | 昭和48年3月31日 | E3 | 小垣江・半城土両地区の土地改良事業が完工する。 |
1973 | 9月 | D1 | 小垣江排水機場が完成する。 |
1974 | 昭和49年4月 | A1 | 小垣江グランドが総合グランドとして完成する。 |
1975 | 昭和50年9月22日 | E2 | 上松児童公園(小垣江)が開設される。 |
1977 | 昭和52年6月 | A1 | 小垣江グランドに夜間照明施設が設置される。 |
1977 | 11月28日 | E4 | 刈谷小垣江土地区画整理事業が認可される。 |
1977 | ◎ | A1 | 本門仏立宗の信厚寺(小垣江町)が創立される。 |
1978 | 昭和53年4月1日 | A1・C9 | 小垣江東幼稚園が創立される。 |
1979 | 昭和54年4月1日 | E2 | 山池公園(山池町)・大脇公園(東刈谷町)・二本木公園(末広町)・陽明公園(末広町)・山崎公園(半城土中町)・富士塚公園(今川町)・西境児童遊園(西境町)・花池児童遊園(今川町)・八幡児童遊園(八幡町)・御幸児童遊園(御幸町)・下広児童遊園(小垣江町)・住吉児童遊園(住吉町)・新上納東児童遊園(野田町)・沖野西児童遊園(野田町)が開設される。 |
1980 | 昭和55年4月1日 | E2 | 原崎公園(原崎町)・野田公園(東刈谷町)・板倉公園(板倉町)・ついぢ公園(築地町)・前山児童遊園(西境町)・すみれ児童遊園(一ツ木町)・西高根児童遊園(小垣江町)・諸狭間児童遊園(小垣江町)が開設される。 |
1981 | 昭和56年4月1日 | E2 | 西中根公園(荒井町)・さくら公園(東陽町)・中央公園(広小路)・池下児童遊園(小垣江町)・さかえ遊園(新栄町)が開設される。 |
1981 | 4月1日 | D2 | 小垣江派出所が開設される。 |
1982 | 昭和57年2月17日 | A1・D7 | 電話交換機の改造により、刈谷・知立・安城・碧南・高浜五市の電話は市外局番が0566となり、市内通話と同じ扱いになる。 |
1982 | 2月21日 | A1・D7 | 依佐美送信所の撤去を求める集会が開催される。 |
1983 | 昭和58年4月2日 | D2 | 依佐美中学校分校の開校式が行われる。 |
1983 | 9月5日 | D2・E4 | 刈谷小垣江土地区画整理事業が完工し、6日から町名変更される。 |
1984 | 昭和59年2月29日 | D2 | 依佐美中学校分校の体育館が竣工する。 |
1984 | 3月31日 | E3 | 依佐美地区・刈谷南部地区土地改良事業が完工する。 |
1984 | 4月1日 | E2 | 寺横遊園(寺横町)・桜遊園(桜町)・南桜遊園(南桜町)・池上児童遊園(小垣江町)が開設される。 |
1984 | 5月27日 | A1・D7 | 依佐美送信所の撤去を求めて、約1万人の参加による「人間の鎖」という抗議集会が行われる。 |
1985 | 昭和60年9月17日 | D2・E4 | 刈谷高須区画整理事業が完工し、18日から高須・半城土・小垣江町の町名が一部変更される。 |
1986 | 昭和61年3月17日 | E5 | 小垣江公民館が小垣江市民センター内に設置される。 |
1986 | 4月1日 | E2 | 諸狭間南児童遊園(小垣江町)が開設される。 |
1986 | 4月1日 | E4 | 刈谷小垣江駅東部区画整理事業が決定する。 |
1986 | 4月15日 | D2 | 小垣江市民センターが開館する。 |
1987 | 昭和62年5月5日 | A1・D2 | 半城土町塩田のごみ処理センターの隣接地に、ごみ処理の余熱を利用したウォーターパレスKCが竣工し、有料開放される。 |
1988 | 昭和63年3月31日 | E6 | 依佐美中学校分校が閉校する。 |
1988 | 4月1日 | C9 | 小垣江東小学校が開校する。 |
1990 | 平成2年3月30日 | D7 | 国道419号線刈谷バイパス(板倉町・野田町)が開通する。 |
1990 | 12月 | D7 | 池上地下道(小垣江町)が竣工する。 |
1991 | 平成3年8月30日 | E4 | 刈谷小垣江駅東部区画整理事業が変更される。 |
1991 | 9月18・19日 | D2 | 台風18号の影響により集中豪雨となる。 |
1992 | 平成4年12月20日 | D2 | 碧海キャッチネットワークが放送を開始する。 |
1993 | 平成5年3月31日 | E2 | 前川公園(小垣江町)が開設される。 |
1994 | 平成6年8月 | F3 | 依佐美送信所が日本に返還される。 |
1996 | 平成8年7月 | F3 | 依佐美送信所の鉄塔の全面撤去が行われる。 |
1997 | 平成9年3月 | F3 | 依佐美送信所の鉄塔の全面撤去工事が完了する。 |
2001 | 平成13年3月 | D2 | 刈谷市の市制施行50周年とカナダのミササガ市との姉妹都市提携20周年を記念し、ミササガパーク(猿渡公園)・ミササガ橋が半城土町にオープン。 |
2002 | 平成14年4月 | D2 | 完全学校週5日制が始まる。 |
2003 | 平成15年4月 | D2 | 刈谷・碧南・安城・知立・高浜の5市の消防が統合し、衣浦東部広域連合が発足し、小垣江町西高根に本部事務所ができる。 |
2005 | 平成17年3月 | F4 | 市が整備を進めてきた名鉄三河線小垣江駅の東西連絡通路(踏切)と東側駅前広場、東側駐輪場が完成する。 |
2005 | 3月 | F4 | 名鉄は三河線の知立―碧南間に駅集中管理システムを導入する。これに伴い市内では刈谷市駅と小垣江駅が無人化される。 |
2005 | 4月1日 | F4 | 小垣江町南堀に公設民営の「おがきえ保育園」が開園する。 |
2007 | 平成19年3月27日 | 農林水産省の補助事業である「農地・水・農村環境保全活動向上支援事業」による地域の環境整備保全を図ると言う目的で、「小垣江地区の緑と水を守る会」が設立される。(通称名は「小垣江地区緑水保全会」) | |
2007 | 4月 | D2 | 高須町に「花と緑」をテーマにした新しい公園「フローラルガーデンよさみ」がオープンする。 |
2008 | 10月11日 | F4 | 小垣江町、高須町、半城土町の46店(社)が加入し刈谷市南部商業発展会が発足する。 |
2009 | 平成21年3月 | F4 | 小垣江町東王地に王地公園が完成する。広さ約2700平方m。 |
2009 | 5月19日 | F4 | 依佐美送信所記念館(依佐美送信所跡)に保存展示されている昭和初期の長波通信設備が米国電気電子学会(IEEE)のマイルストーン(日本で9番目)に認定され、同記念館で銘板の贈呈式が行われた。 |
2009 | 7月16日 | F4 | 小垣江小学校で創立100周年記念碑「翔夢」の除幕式が行われた。 |
2011 | 3月 | F4 | 小垣江小学校が「平成22年度こどもホタレンジャー」で全国2位に当たる優秀賞を受賞する。 |