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水野忠重

水野忠重は忠政の八男(「寛政重修諸家譜」では九男)として天文10年(1541)に生まれる。
忠政の跡を継いだ信元は、佐久間信盛の讒言によって天正3年(1575)12月27日に殺害された。 これによって水野家は断絶する。
天正8年になると、忠重は織田信長から長男信元の旧領である刈谷領を与えられ、刈谷城主となる。 その間刈谷領は佐久間信盛の支配下にあったとされる。
忠重は、同15年和泉守に任し、同18年3月から始まった秀吉の小田原北条氏攻めに従軍したが、その功績によって伊勢神戸に移封された。 忠重移封後は、秀吉の甥の秀次の所領となったといわれる。 その後、忠重は文禄3年(1594)刈谷の旧領に復帰する。
慶長5年(1600)没。楞厳寺に葬られている。
刈谷市民だより H14年9月15号 刈谷人物名鑑より

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