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松平忠房(まつだいらただふさ)

深溝(ふこうず)松平と称する。
元和5年(1619)三河国吉田藩主松平忠利の長男に生まれる。幼名は五郎八といった。
寛永9年(1632)8月11日遺領を継ぎ、吉田藩主となるが、翌12日刈谷へ転封を命じられる。 同年従五位下主殿頭(とのものかみ)に叙任する。
慶安2年(1649)2月28日刈谷を改めて丹波国福知山に移され、1万5000石を加増され天田・何鹿(いかるが)両郡のうちで4万5900石を領する。 寛文9年(1669)肥前国島原に移される。
天和3年(1683)12月4日従四位下に叙任し、元禄11年(1698)4月18日致仕し、大炊頭(おおいのかみ)に改める。 同13年10月1日没する。
刈谷在城時代では、寛永11年に家光が上洛した際には池鯉鮒宿で饗応をしたほか、領内で検地を行っている。 刈谷町・熊村・小山村では寛永13年、泉田村は同16年、小垣江村は同18年に行われた。
刈谷市民だより H18年5月15号 刈谷人物名鑑より

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