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中島秋挙(なかじましゅうきょ)

秋挙は安永2年(1773)刈谷藩士中島左守高贇の長男として熊村に生まれた。 名は大之丞、のちに衛輔(えすけ)と改めた。 諱(いみな)は惟一、字は子徳といった。
享和2年(1802)30歳で致仕し、自ら薙髪して曙庵と号し、俳諧の道に入った。
同年鶴田卓池の紹介によって井上士朗に師事し、のち小垣江村に曙庵を設けた。 この曙庵を拠点に全国を回り、生涯独身で俳諧三昧の暮らしをする。
市原稲荷神社の社頭に立つ中島秋挙の句碑に
「夜わたしの 今の声あり 華さかり」とある。
この句碑は天保10年(1839)に秋挙の門人である加藤茂陵らが建設したもので、市原の渡し場のにぎやかな様子を詠んだもので、秋挙の代表句である。
文政9年(1826)病没し、十念寺に葬られている。
刈谷市民だより H14年10月15号 刈谷人物名鑑より

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