ようこそ! このサイトは小垣江町在住の「masaji」の勉強部屋です。管理人「masaji」の興味のあることについて本人の勉強もかねて作成していきます。

HOME >小垣江の勉強部屋 > 小垣江の歴史>三浦明敬

三浦明敬(みうらあきひろ)

万治元年(1658)下野国壬生(みぶ)藩主三浦正次の長男に生まれる。
寛文12年(1672)12月28日従五位下壱岐守に叙任する。
天和2年(1682)11月2日遺領である下野国壬生を継ぎ、貞享3年(1686)11月27日奏者番となり、元禄2年(1689)2月6日若年寄に転じ、5月2日には奏者番に復している。同5年壬生から日向国延岡へ転封となる。 正徳2年(1712)7月12日刈谷へ移る。
刈谷在任時期はちょうど正徳期の飢饉で、領内には飢人が続出し藩財政は窮乏した。 そのため先納金や御用金を課した。 また年貢納入に差し支える農民たちは、現金収入を得るために他所へ奉公に行くことがあったが、これは田畑が荒れるもとだとし、他所奉公人を呼び戻すように触れを出している。
享保8年(1723)10月11日奏者番を辞し、同9年2月15日致仕する。
刈谷市民だより H18年12月15号 刈谷人物名鑑より

HOME

小垣江の勉強部屋

カメラ部屋の勉強部屋

Copy Right masajiの勉強部屋 Co.,Ltd. Since 2007