加藤惣衛(かとう そうえ)
嘉永6年(1853)11月9日惣右衛門の長男として野田村に生まれる。
早くから公共心に富み、村会議員を経て明治27年郡会議員となったほか、明治用水水利組合議員も務める。
明治21年2月28日野田村外2か村の戸長となり、翌年町村制施行により野田村長となる。同28年12月1日辞職するが、同38年1年だけ再び村長を務める。
野田村字松本と知立町西中の前面一帯の水田はこれを貫通する吹戸川の両側の堤防の屈曲が激しかったため、僅かの降水にも河川が氾濫し、これによる農家の損害がおびただしかった。
そのため両村の同志を集め、大正12年に工事を始め、河川の改修やこれに伴う堤防の修復を行い、また排水のため水門を設け、延長730間の工事を行った。
刈谷市民だより H20年11月15号 刈谷人物名鑑より