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田中吉政

天正十八年(1590)から慶長五年(1600)までの岡崎城主。
その間に豊臣秀吉より領地の加増をうけ十万石の大名になった。
吉政は近江出身で、初め織田信長・豊臣秀吉の将宮部継潤に仕えて戦功があった。 豊臣秀次が継潤の養子になった際に吉政が薄役とされ、のち秀次が天正十三年に近江八幡山(現滋賀県近江八幡市)城主で二十万石を領するようになると三万石を与えられて家老となった。 天正十八年に秀次が尾張に封ぜられると、吉政は「関白(秀次)殿一老」として尾張各地の寺領安堵などに関与した。
天正十八年(1590)から慶長五年(1600)まで岡崎城主で西三河十万石を領していた。
慶長五年、関が原の戦い(徳川家康側)の戦功として十万石から三十二万五千石へと加増され、筑後国柳川(現福岡県柳川市)へと転出した。
慶長十四年(1609)没す。

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