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水野忠清

天正10年(1582)刈谷城主水野忠重の4男に生まれる。 母は宇川氏。幼名は惣兵衛、通称は権十郎といった。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの時、徳川家康の命によって出陣し、同7年従五位下隼人正に叙任し、徳川秀忠より上野国小幡1万石を与えられる。2度の大阪の陣に参戦する。
元和2年(1616)病床の家康から本領刈谷の城と1万石の加増を受ける。
寛永9年(1632)三河国吉田4万石、同11年には5000石が加増され、同19年信濃国松本7万石に転じたのち、正保4年(1647)5月28日没する。
小石川伝通院(東京都文京区)に葬る。
刈谷藩主としては16年余であったが、忠清に関する資料はほとんど残されていない。
刈谷市民だより H18年4月15号 刈谷人物名鑑より
城付二万石の領地
水野忠清の刈谷二万石の領地は碧海郡内30ケ村で、現在の刈谷市域13ケ村、安城市域4ケ村、豊田市域4ケ村、知立市域7ケ村、高浜市域2ケ村に分散していた。
小垣江・元刈谷・繁昌土・野田・熊村・重原・東境・今岡・小山・・高津波
泉田・築地・一ツ木・高棚・篠目・里村・今村・花園・堤村・若林
駒場・知鯉鮒・八橋・来迎寺・牛田・八田・中村・高浜・吉浜
(刈谷・知立両市に分割された重原村は、当時は全村が刈谷領)
刈谷市史 第二巻 参照

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