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阿部正春(あべまさはる)

寛永14年(1637)阿部重次の次男に生まれる。
はじめと利重(とししげ)、正長(まさなが)、長松、吉兵衛と称した。 父重次は三浦重成の養子となるが、重成に実子が誕生したため家督を辞し、近江国浅井郡の内で3千石を分与され独立する。
しかし、寛永5年に実兄の阿部政澄(まさずみ)が実父正次に先だって病死したため、重次は正次の嫡となって姓を三浦から阿部に復した。 正春もはじめは三浦を称し、承応2年(1653)12月28日従五位下因幡守の叙任した。
その後、兄定高(さだたか)が重病で、その子正邦が幼少であったため、万治2年(1659)伊予守に改め、阿部を復してその遺領を継ぐ。
寛文11年(1671)正邦が成長したため定高の遺領を渡し、元の1万6千石の大多喜藩主となったあと、元禄15年(1702)9月刈谷に転封する。
宝永6年(1709)4月25日致仕する。
刈谷市民だより H18年10月15号 刈谷人物名鑑より

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