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稲垣重昭(いながきしげあき)

寛永13年(1636)重綱の子重晶の長子として生まれる。 初め重祥(しげよし)、のち藤三郎と称した。
父重晶が祖父重綱に先んじて没したため、承応3年(1654)3月3日祖父の遺領を継いで2万石を領し、3千石を叔父茂門(しげかど)の子昭友に分与する。 したがってこの時刈谷藩領は2万石となった。
この分与した3千石分は、安城村・野寺村(以下、現安城市)・土橋村・大林村(以下、現豊田市)・南莇生(あざぶ)村(現三好町)と東境村の一部であった。 明暦元年(1655)12月29日従五位下信濃守に叙任する。 寛文11年(1671)9月23日叔父重氏に新墾の田1500石を分与する。 元禄元年(1688)2月23日致仕する。
同16年6月19日没。
「市原神社鎮座記」には、明暦4年9月13日の日付で稲垣信濃守源重祥とある。
刈谷市民だより H18年8月15号 刈谷人物名鑑より

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