土井利信(どいとしのぶ)
享保8年(1723)西尾藩主土井利庸(としつね)の長男に生まれる。
幼名八助。
同19年6月15日、父利庸死去により遺領である西尾を継ぐ。
元文5年(1740)12月21日、従五位下伊予守に叙任する。
延享4年(1747)2月11日西尾を改めて刈谷に転封する。
それまで刈谷藩主であった三浦義理(よしさと)が西尾に移ったことから、交替したことになる。
西尾からの転封にあわせて菩提寺である利勝寺を西尾から刈谷に移している。
明和元年(1764)5月2日大隅守に改める。
利信には2男2女がいたが、2人の男は早世してしまったため、親戚筋の仙台藩主伊達家から養子を迎えることとし、同年9月23日伊達宗村の6男藤六郎を養子に迎え利置(としやす)と改名するが、同3年死去する。
そのため同年宗村の3男藤三郎(のち利徳)を養子に迎える。
同4年8月18日致仕し、同8年2月24日没。
刈谷市民だより H19年3月15号 刈谷人物名鑑より