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岡本広太郎

慶応2年(1866)12月8日刈谷に生まれる。父は瀧三郎といい、刈谷町の庄屋を勤め、酒造業を営んでいた。広太郎は学門を好み、心が広く、人をまとめるのに優れていたといわれる。
明治44年9月から大正元年7月まで刈谷町会議員を勤めたあと、同4年6月に刈谷町長に推され同8年9月まで勤め、そのあと再び同10年7月から同12年1月まで町長を勤めた。 刈谷中学校・刈谷高等女学校の設立に際し、多くの難題を乗り越えてその目的を達成した。また、豊田紡織株式会社の設立に尽力するなどその功績は大きかった。 その当時の刈谷町は元刈谷、熊、高津波、小山、重原などがその町域で、それぞれ利害を異にするためこれらを統括するのは大変であったといわれる。
大正12年3月29日没。
刈谷市民だより H17年12月15号 刈谷人物名鑑より

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