大野一造(おおの いちぞう)
大野一造は明治18年4月5日、刈谷町大字刈谷字緒川町で旧刈谷藩士族大野介蔵の長男として生まれる。
兵庫県立神戸一中を経て東京高等工業学校窯業科を卒業し、その後、軍隊での新兵教育を受けた。
南満州鉄道株式会社に入社し、撫順(ぶじゅん)炭坑付技師から満州中央試験所技師となり、大連耐火煉瓦工場の創立に寄与した。
大正7年刈谷に東洋耐火煉瓦株式会社を発足させ、技師兼工場長として尽くす一方、同13年豊田紡織工場誘致に尽力し、刈谷の工業都市の端を開いた。
実業家として活躍する傍ら、政界にも進出し、刈谷町会議員をかわきりに、愛知県会議員、刈谷町長、衆議院議員を勤める。
昭和32年には刈谷市名誉市民となる。同42年3月6日没。
刈谷市民だより H16年1月15号 刈谷人物名鑑より