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三浦義理(みうらよしさと)

元禄9年(1696)日向国延岡藩主三浦明敬の5男として生まれる。
初め吉章(よしあきら)、求馬と称した。
享保11年(1726)4月兄明喬(あきたか)が死去し、明喬の3人の男の子おうち2人は早世、1人は生まれたばかりであったため、5月29日義理が遺領を継いだ。
6月1日将軍吉宗に拝謁し、9月7日従五位下志摩守に叙任する。延享元年(1744)5月15日奏者番となり、同2年12月21日若年寄に転じる。
享保12年刈谷城内に竜王宮を勧請し、雨乞を行ったところ御利生があったので、領分中で祭りを行い神恩を感謝している。
また、元文2年(1737)恩田の松雲院に3万坪の寺領を寄進して本堂を再建し、文殊菩薩も寄進している。
元文3年新しく目付格郡代として赴任した勾坂粂右衛門(さきさかくめえもん)は領分中に立毛検見を行うことを申し渡したが、百姓らの反対によって検見を中止したといういわゆる元文一揆が生じた。 延享4年2月11日に西尾に転封となる。
刈谷市民だより H19年2月15号 刈谷人物名鑑より

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