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松平定政(まつだいらさだまさ)

久松松平と称する。
慶長15年(1610)山城国伏見藩主松平定勝の6男として生まれる。
父定勝は徳川家康の生母於大が岡崎松平広忠に離縁されたのち、再嫁した阿久比久松俊勝との子である。 したがって於大は定政にとって祖母にあたる。
寛永10年(1633)2月に家光に仕え、12月従五位下能登守に叙任する。
同11年伊勢国三重郡の内で采地5千石、同12年同国長島城を賜ったのち慶安2年(1649)2月1万3千石が加増され、三河国刈谷へ転封する。 刈谷藩での定政は猿渡川流域の高須新田など領内の新田開発に力を尽くした。
しかし、慶安4年家光が没するとまもなく長子定知(さだとも)とともに剃髪して能登入道不白と称し、江戸市中を托鉢して廻った。 そのため幕府は狂気とみなし、所領を没収したうえ身柄を松平藩主松平定行に預けて蟄居(ちっきょ)を命じた。
刈谷市民だより H18年6月15号 刈谷人物名鑑より

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