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稲垣重綱(いながきしげつな)

天正11年(1583)越後長岡藩主牧野家の重臣大坂城代稲垣長茂(ながしげ)の長子として生まれる。 初め重種といい、のち藤助、平右衛門と称した。
父長茂は当初三河国宝飯郡牛久保城主牧野成定に仕えていたが、永禄8年(1565)に同氏が徳川家康に属した時に家康の直臣となり、同年10月牧野康成に仕える。 重綱は慶長5年(1600)徳川秀忠が信濃上田城を攻めた時、牧野康成に従い攻撃に加わった。 同12年には父長茂とともに伏見城の守衛にあたる。
同17年遺領である上野国伊勢崎を継ぎ、元和2年(1619)1万石が加増され、越後国藤井2万石を領する。 寛永3年(1626)従五位下摂津守に叙任する。 慶安元年(1648)9月大坂城代を命じられ、同年10月25日に職を辞したあと、同4年9月刈谷2万3000石で転封する。
承応3年(1654)1月8日没。
刈谷市民だより H18年7月15号 刈谷人物名鑑より

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