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竹内林衛(たけうち りんえ)

天保7年(1836)福島藩重原領の大庄屋竹内市郎の3男に生まれる。名前は林衛、字は明善(めいぜん)、画号を叉橋(さきょう)と号した。
勤王の志しが厚く、26〜27歳のころ美濃国の高橋杏村(きょうそん)の来遊をきっかけに入門し、画道研究のもとに勤王の志士と交流した。その中には、山中信天翁(しんてんおう)、香川敬三、冷泉為則(れいぜんためのり)、小山轍太郎(こやまてつたろう)などがみられる。
明治元年に福島藩主板倉勝達(かつさと)は転封となり重原藩となると、適当な住居がなかったため林衛の座敷を借りて住んだといわれる。
明治5年1月以降第二大区長となり、同年11月27日額田県を廃止してその管轄を愛知県に移し、管内を15大区に分けられ、碧海郡は第九大区となると、第九大区長となり、会所を竹内林衛家に置いた。
明治6年12月13日没。

刈谷市民だより H22年3月15号 刈谷人物名鑑より

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