土井利制(どいとしのり)
明和5年(1768)刈谷藩主土井利徳(としなり)の長男に生まれる。
幼名を鉄蔵といった。
天明3年(1783)初めて将軍家治に謁見する。同年従五位兵庫守に叙任し、同7年封を継ぐ。
利制の治世に寛政一揆が勃発した。
一揆後首謀者や役職者の処分を行ったが、寛政3年(1791)利制は幕府から差控の処分を受け、翌年所領のうち1万3千石を陸奥国福島領の伊達郡・信夫郡に1万石、幕府領のうち磐前(いわさき)郡に3千石と村替となった。
これにより、野田村・半城土村・小垣江村・高須村などの村々は、福島藩領となった。
福島藩はこの村替によって財政の危機を乗り越えたのに対し、刈谷藩ではますます財政難の状態になってしまった。
刈谷市民だより H19年5月15号 刈谷人物名鑑より