曙庵跡(中島秋挙)
(WGS84 N34°57' 44.011" E136°59'40.591"誤差50m以内)
曙庵は刈谷の俳人中島秋挙が住んだ庵の跡であり、秋挙のもう一つの号でもあります。秋挙は享和2年(1802)のときに、弟に家を譲り剃髪して曙庵と号して、名古屋の井上士朗の門人となりました。
秋挙がここに曙を持ったのは、肥料商の主人で鶴見友七(東雅)という高弟の支援があったからです。東雅の家も近く、常に行き来して親しんだといわれています。
この家の主は山口さんという大工さんで(「大鉄」さん)、小垣江の山車、肴町の山車の修復をされました。
「歴史の小径小垣江コース 刈谷ふるさとガイドボランティア」参照
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