巡見橋
(WGS84 N34°58' 19.435" E136°59'45.720"誤差50m以内)
江戸幕府は地方の実情を調べるために、将軍が替わるたびに各地に巡見使を派遣しました。
小垣江村から元刈谷村へこの橋を渡って巡見使一行が入っていったので巡見橋と呼ばれるようになったと言われています。
その様子が橋の欄干のプレートに描かれています。
天保9年(1838)の巡見使の派遣では4月8日、土屋一左衛門一行125人が幡豆郡から刈谷城下に入りました。(125人の行列は10万石大名の参勤交代の行列と同じです)
「歴史の小径小垣江コース 刈谷ふるさとガイドボランティア」参照
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