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法栄寺

寺伝によれば、長谷川喜三郎が庵室を作り、その娘(法誉栄寿法尼)に勤めさせたことに始まるといわれています。
寛延元年(1748)誓満寺第6世誓誉上人が長谷川喜三郎の多大な寄進により、現在地に寺を建立しました。寺は荒井山法栄寺と号して、尾張建中寺(尾張徳川家の菩提寺)の末寺になりました。
安永5年(1776)から秋の彼岸に専称寺と誓満寺が交代で虫供養を行ってきましたが、明治14年(1881)法栄寺でも行われ3ヶ寺で順番に行われるようになり現在も継続されています。
明治時代法栄寺9世・10世住職の墓に「筆子中」と刻まれており、この寺で寺小屋が開かれていたことがわかります。寺子屋に通っている子供を筆子と呼んでいました。
「歴史の小径小垣江コース 刈谷ふるさとガイドボランティア」参照
(画像はクリックすることにより別ウィンドウで大画像表示いたします。)

法栄寺の画像

(07/10/7撮影)

法栄寺の画像

(07/10/7撮影)

法栄寺の画像

(07/10/7撮影)

法栄寺の画像

境内にはブランコがあります。
太平洋戦争後、幼児教育の必要性が叫ばれる中で、十二世厳誉碩聞上人は昭和29年(1954)に慈友保育園を開園し、地域の幼児教育、情操教育に尽くされました。
しかし、園児が増え境内では手狭になったこともあって、慈友保育園は刈谷市に移管され、荒井町に新しい園舎が建設されました。
境内の保育施設は現在老人クラブの「憩いの家」として活用されています。
「歴史の小径小垣江コース 刈谷ふるさとガイドボランティア」参照
法栄寺では、毎年4月(平成9年より)にはお釈迦様の誕生日をお祝いする「花まつり」を行ったり、8月(平成6年より)には「法栄寺inサマー」という、子供会対象のゲーム・お話し・お泊り会などを行って地域活動を積極的に行っています。
(07/10/7撮影)

法栄寺の画像

(07/10/7撮影)

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